わたしたちに許された特別な時間の終わり

やべえ。
久々にめちゃめちゃいい小説を読んだ。

わたしたちに許された特別な時間の終わり

わたしたちに許された特別な時間の終わり

どんな人でも「ぼーっとする」ことはあると思う。
ただ、一口に「ぼーっとする」とは言っても、
ずっと身体を動かさないわけではなく、
(寝転がっていたとしても、膝を立ててみたり、顔の向きを変えてみたり)
全く何も考えていないわけでもなく、
(言葉にする必要さえ感じられないような取り止めのないことを考えていたり、
 二秒後には忘れてしまうようなどうでもいいことを考えていたり)
実際は活動を停止しているわけではない。
けれど、そこで「何してたの?」と聞かれると、
「え、別に何もしてないよ……」
と答えに窮すると思う。



そのような「何もしてない」にカテコライズされる行動や思考を、丁寧に文章化した作品。
……なのかな。
うー、説明が難しい。



読んでいる途中
「やばいな、これは」と思った。
「全然、嘘くさくないや」と。
たとえば会話ひとつとっても、
現実には、小説のような会話はほとんどない。
しょっちゅう言い間違えるし、
言葉が出てこなかったりするし、
同じことを二度言ってしまったりもするし、
別のことを考えていて、その会話が上の空だったりもする。
かみ合わない会話だって、結構あるだろう。



思考も一緒だ。
同時並行して全然関係ないことを考えていることはよくあるし、
考えが飛ぶし、
何度も繰り返し同じことを考えたりもする。



これらは「意味のない」「余計なもの」なのかもしれない。



小説では(ものにもよるが)、現実より、そういう「余計なもの」が少ない。
確かに「余計なもの」を入れたらすごく文章が読みにくくなるだろう。
意味も読み取りづらくなるだろう。
だから小説が「余計なもの」を省くのは仕方ないことだ。



……と思っていたんだけれどなあ。
うーん。
必ずしもそうじゃなかったのかも。



とにかく読み終えてみて、
「いい小説を読んだ」
という思いが残る。
この小説は、何度も読み返そうと思う。



……けれど、人にはあまり勧めません。
こういう小説を、退屈に感じる人もいるだろうし。