子猫が読む乱暴者日記

先日、中原昌也について日記に書いたけど、
実は中原昌也をちゃんと読んだことってなかった
「あらゆる場所に花束が……」を途中まで読んで挫折したくらい
あ、映画評とかは読んだことあるな
何かに載った短篇も読んだことあるかもしれない



で、今日、急に「読もう」と思い立った
前述の「あらゆる場所に〜」と、
今日読んだ「子猫が読む乱暴者日記」
を持っていたけど
読むからにはデビュー作からかな、と思って
「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」を探しに出かけた



自転車で本屋を4軒、古本屋を3軒まわったけど
どこにも「マリ&フィフィ」はおろか
中原昌也の本が一冊も置いていなかった!
これだから田舎は……



結局、当初の予定とは違う本を何冊か買い
漫画『牙狼伝』の1巻から13巻を立ち読みして
雨の中チャリに乗って
一度車に轢かれそうになりながら家に帰った
外にいる間にアイスを3個食った
今日のMVPはバンポっていうアイス



家に着いたら無印良品の「ミニラーメン チキン味」をバリバリと食し
2時間昼寝してから夕食(鍋)を食べビールを飲み
布団に寝っ転がって「子猫が〜」を読んだ

子猫が読む乱暴者日記 (河出文庫)

子猫が読む乱暴者日記 (河出文庫)

意味がわかんないけどおもしろい
他のも読みたい



高橋源一郎が書いた、中原昌也についての文章*1
おもしろかったので載せてみる

中原昌也の小説を読んだ読者は「こりゃなんだ! わけがわからないけど、チョー面白い!」というか、「こりゃなんだ! わけがわからない、あっち行け!」と叫んだ。どちらにせよ、「わけがわからない」という点だけは共通していた。

私はどちらかというと前者です。
その後、中原の文章を引用し、

ほら、ぜんぜん難しくもなんともないじゃん。意味はよくわかる。というか、ものすごくよくわかるのである。
(中略)
では、なぜ、世間の人たちの多くは、中原昌也の小説を読むと、「わけがわからない!」というのか。それは彼らの本心が、「わけがわからない!」ではなく「わけがわかりたくない!」からなのだ。
(中略)
読んでいるとだんだんムカついてきませんか? だって、それはほんとうのことだから。ほんとうのことだけれど、みんなにとって隠しておきたいことだから。ほんとうはそういうことばかり考えているのだけれど、それではバカに見えるので、隠しておきたいから。

「ほんとうはそういうことばかり考えている」というのが、なんかしっくりきた。



その後の

実際の自分は、イメージしている自分より、かなりバカっぽいのだ、それから、おれの好きなあの子も、おれの好きなあの映画も、おれの好きなあの本も、それは、おれのイメージの中でそうなっているだけで、ほんとうはどれもこれも、そう思われているより、つまり表面上そうなっているより、2割引きぐらいつまらないのだ。いや、3割引き、待てよ、4割引き? いやいや、いや、7割、8割引きは当たり前……だったりして。
でもそういうことは絶対に(!)いってはいけないのだ。

を読んで、ああそうか、と思った。



自分も文章を書くときに、意識的にか無意識でかは知らないが
「頭よく見せよう」とか思って、ほんとうに思っていることを書かなかったり
つまらないものを、おもしろく見せようとしていたように思う



私も、気負わずに、深く考えずに、思ったことを書いて
それが「読むに値するもの」になったらいい



それが理想。
理想と現実は程遠い。

*1:広告批評2004年8月号掲載。「特集 高橋源一郎と若手作家たち」というタイトルで対談もしている。中原のほかに高橋源一郎と対談しているのは、佐藤友哉平野啓一郎星野智幸吉田修一